CHIHIRO ODA

  • 2021.09.03
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The place where flowers are.

ハナモリのコチョウラン

開店祝いなどで重宝されるコチョウランの鉢。
1〜2ヶ月ほど長く花が咲き続けるが、花が落ちた後は店の裏やゴミの集積所に追いやられている様子をしばし見かける。

コチョウランは、本来花が咲いた後も株は生きていて、適切なケアをすれば春にはまた花が咲く植物。
それが、短命なものとしての扱いを受けていることに違和感を感じた。

そこで、そもそもコチョウランはどのように生産されているかを知るべく、愛知県にあるハナモリという農家の、森田さんを訪ねた。

愛知県は温暖で日照も多く、関西、関東に花を出荷しやすい立地にあるため、古くからラン栽培が盛んな地域。

そして、輸入した株を分けて育てている農家が多い中、ハナモリさんは、実生苗と呼ばれる種を発芽させてできた苗を用いて育てている、数少ない農家である。

ハウスを訪れると巨大な倉庫のようになっていて、ブースは大きく2分割されている。

ここでは、およそ10万鉢のコチョウランが育てられている。

手前は花を咲かせるための、気温18度前後のブース。
ここで交配されて名付けられたオリジナルの品種が、無数に花を咲かせている。

実生苗で出来た株は兄弟にあたるため、同じ品種でも、一つ一つ色の出かたや花の大きさが違ってくる。

ここで育てているのは、ほとんどが中輪のラン。
大輪の花や鮮やかな色の花など、いわゆる「良い花」の品種はヨーロッパや台湾に多い。

その品種の多さから、国自体の、花そのものに対する熱量が窺える。

そういった意味では日本はまだまだ未熟であり、国ごとの慣習や環境が、花の品種改良に大きく関わっていると感じる。

また、花が咲いた後は、散る前に茎を切ることで、株の体力を温存させて数ヶ月後にまた花を咲かせやすくなるのだそう。
まだ咲いてる花は、花瓶に生けて切花として楽しむ。

根本から少し離したところで茎をカットすることがポイントで、冬場は寒すぎない場所で保管するのが良いとされる。

そして奥の扉を開けると、温室のような湿度の高い空気に包まれる。
ここは気温25度の苗を大きくするためのブースで、大小様々な株がひしめき合う。

これらは1年ほどかけて成長していくが、花をつける株はこの中の8割ほど。
そして、成長したものはそれぞれのタイミングで手前のブースに移動され、花を咲かす。

葉をよく見ると少しずつ様子が違い、やや赤みのあるものもある。
これはランに含まれるアントシアニンのせいで、ピンクや赤色の花が咲く株に見られる。

花はついていなくても、ぷりぷりとした葉や、ポットの中でうねる根の様子も見応えがある。

着生植物のランは、土ではなく水苔を根に絡ませて栽培されるが、水苔はコロナ禍で入手困難になっており、ウッドショック同様水苔ショックが起きている。

これは現在ヤシガラで代用され、日々研究中なのだそう。


左が水苔、右がヤシガラを使って栽培したラン。

その後、交配ブースへ。
花を交配させて結実させ、種を採取する様子を見せてもらうことに。

花の中央にある2粒の花粉塊を指で取り出し、めしべのような役割をする部分に入れ込む。

それだけで簡単に結実し、鞘から何十万もの種がとれる。

種は、粉のように細かく小さい。

自然界でもこの膨大な量の種が撒かれるが、
その発芽率は限りなく低いため、ラン菌と呼ばれる共生菌の助けを借りて発芽する。
ここで採取した種は、ラン菌の代わりに無菌のフラスコ内で、人工的に養分を与えて発芽させる。

ランの種を見かけることはあまりないが、結実は意外と簡単に出来ることに驚く。
ただ、そこから発芽までの過程が容易でなく、技術を要するため、そもそも種が市場に流通してないのだということが分かった。

現在、グローバル化や合理化に伴い、日本のほとんどのコチョウラン農家が輸入苗のクローンを栽培しているのに対し、実生栽培をしているのはほとんどここのみである。

この実生栽培は、個体によってムラがある、手間がかかるなど、多くのデメリットがある。

しかし、新しい花や、見たことのない花を生み出すことが出来るのは、実生栽培の大きなメリット。
今、森田さんは、日本の風土に合うオリジナルの花や、ひとつの株により多く花をつけるような品種の生産に力を入れている。

こうした農家の意思を、お客様により面白く伝えられる花屋でありたい。

スーパーで買った豆苗を刈り取った後、再び芽が出てきたことや、花屋で売られている切花の茎から根が生え、花が枯れた後も成長し続けていくこと。

このように、プロダクトとしての役目を終えた後のそれらの成長を発見した時、私は度々、植物の尊さのようなものを感じる。

今日、コチョウランはお祝いや冠婚葬祭と深く結びつき、形式化された贈り物として多く世に出回っている。
それを、ひとつの植物として生い立ちを辿ってみて、前述のような、喜びを感じる瞬間がいくつもあった。

恐れ多くも、それらを広め、より楽しめるような提案をしたい、と強く思う。

生活を共にしながらつぶさに観察をし、その成長や変化を大げさに楽しめたのなら、コチョウランはより身近い贈り物になり得るのでは無いだろうか。